居酒屋でのポテトサラダの頼み方

居酒屋で頼むものにポテトサラダがある。私は無類のポテトサラダ好きだ。自分ではまだ作っていないけど。居酒屋では必ずポテトサラダを頼む。今回はその頼み方にちょっと触れておく必要があると思ったのだ。

 

私はメニューを見ずにポテトサラダを頼む。

 

この感覚。メニューにあるなしは関係なく食べたいから頼んでみようというこの感覚。僕らはこういう感覚を忘れてはいないだろうか。

 

そもそも、居酒屋にメニューは必要なのだろうか。メニューってなんだ?あなたの本当に食べたいものがメニューに載っているのか?メニューに縛られてはいないだろうか。本当に食べたいものから目をそらし、妥協をしてはいないだろうか。店側だってそうだ、メニューを作った時の気持ちと今の気持ちは同じなのだろうか。本当に提供したいものだろうか。メニューがあるから無理して旬が過ぎたものを仕入れてはいないだろうか。そんなメニューに意味はあるのか。しかも、メニューがあるから、「メニューの写真と違う。草生える」みたいな不満がツイッターとかに掲載されてしまったりもするではないか。

 

結論は「いる」だ。

 

やはり、メニューはいる。メニューがないと悩む。メニューがないと食材の準備が難しい。メニューにより、店の経営はメニューがない時より容易になり、多くのお客さんに食事を提供できる。食材を納める業者の経営も安定する。顧客も悩まなくていい。そもそもそんなに自分の食べたいものを明確にしている人はいない。そもそも空腹を満たすための食事であれば、ぶっちゃけ何だっていいという人だっているではないか。そもそも居酒屋にきた人全員が居酒屋にきたいわけではないはずだ。誰かの誘いを断れない。状況的に断れない人も来ているだろう。そんな人が前向きに食べたいものを考えるだろうか。そうやってできあがっている社会だ。現代は。いまよりずっと前に決めた意思で回っている。法律だって現代にそぐわないものもあるのに、決め直すのがめんどくさいってことでそのままになっているいわんやメニューをや。

 

そこで、放り込む。ポテトサラダを。

 

メニューを見ずに、放り込む。ポテトサラダを。当然、ドリンクより前にだ。一瞬時間が止まる。そもそもドリンクメニューを聞きに来ているのだ店員さんは。だいたいビールかウーロン茶だろうとたかをくくっている。そうでなくてもドリンクを頼むだろうと思っている。そこでポテトサラダ。

 

しかし、どこかでポテトサラダを頼まなければならないというドグマに支配されているような気もしてきた。そう、世界がメニューに支配されているように自分もいつかの自分に、そしてポテトサラダに支配されているのだ。ポテトサラダを食べていたつもりが自分がポテトサラダに食べたられていた。気付かないうちにオレはポテトサラダの一部になっていたのだ。

 

真顔日記っていうのが超絶面白くて自分もなんか書きたいと思って書いたらこのざまだ。なんかごめんなさい。